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けいはんなフィルハーモニー管弦楽団 演奏会

よく訓練された巧いオケに吃驚した演奏会(戻る


けいはんなフィルハーモニー管弦楽団演奏会
2002年6月2日(日) 14:00 けいはんなプラザ・メインホール

伊福部 昭: 交響譚詩
コダーイ: ガランタ舞曲
ショスタコーヴィッチ: 交響曲第9番 変ホ長調 作品70

指揮: 藏野雅彦

これまで何度か行こうと思っていたが、色々なことが重なって聴く機会を逃していたけいはんなフィル。 ようやっと聴くことのできたこのオケの巧さに吃驚した。 相当練習を積んでおられるのだろうが、ソロ楽器の巧さに加えて、各楽器間の受け渡しや響きの重なりがとても巧い。 いつもなら感想文で誉めるだけ誉めて、ハイお終いなのだが、これだけ巧いとなると色々と言いたくなる(許して欲しい)。 まず休憩前の2曲には響きの厚さやフレーズの豊かさ(たぶんにホールの響きのせいもあると思うが、後半のショスタコでは改善されたので一応)が欲しかったし、そしてショスタコーヴィチの交響曲第9番ではテンポをもう少し速めにやって欲しかった。 もっともこれは指揮者の仕事でしょうが… などと余計なことを書きたくなる。 とにかく、このような人工的な未来都市のようなところに、こんなに巧くて熱いオケがあり、それをこれまで聴いていなかったとはちょっとショックでもあった。
ところで、余計なことを書いたついでに、今年の春から直通バスが出るようになったけいはんなプラザについて余計なことを書く。 関西文化学術研究都市精華・西木津地区(通称:けいはんな学研都市)は噂には聞いていたが、広々とした敷地に大きな建物が点在している人工的な未来都市のようで、人がほとんどいないのがちょっと不気味なところだった。 当日はうららかな初夏を思わせる陽光を浴びながら、バスから降りた10名ほどの人間だけが、ぞろぞろと会場であるけいはんなプラザ・メインホールへ歩いていった。 これがもし雨とか、冬でとても寒くときなら、とても寂しいところだろう。 さて辿りついたホールだが、フェスティヴァルホールのような扇型をしているが、材質はいずみホールに似てて、とても綺麗なホールだった。 ただ、国際会議にも使えるように肘掛に小さなテーブルが仕組まれているのは奈良県文化会館国際ホールと同じ。 大きさも奈良県文化会館よりちょっと大きめだろうか(2階席がないので収容人数は同じくらいか)。 とにかく音楽専用ではないのがちょっと気になった。 最初の2曲を、もっと響くやまと郡山城ホールで聴いたら、まったく違った印象になっていたかもしれない。 と余計なことを思ってしまった。

さて、話は音楽に戻って、けいはんなフィルはコントラバスが4名の10型というちょっと小ぶりな編成。 弦楽器が対向配置で管楽器は通常配置なのは藏野さんの趣味だろうか。 これまで藏野さんを3回聴いているが、いずれもこの配置だったはず。
伊福部昭の交響譚詩は初めて聴く曲。 打点が明確で元気の良い第1譚詩、フレーズの受け渡しが見事だった第2譚詩と非常によく纏まった演奏だったと思う。 全体的にだが、特に第1譚詩がやや堅く響いていたのが気になった。 ホールのせいかな?とも思ったけれどちょっと聴き疲れするようにも感じた。 しかし演奏自体はとても巧く舌をまいたことは事実。 その第1譚詩、弾力のあるティムパニの音による開始。 ちょっと大きな堅い音でびっくりした。 このあとの金管楽器も元気いっぱいだがよく締まっていて巧い。 弦楽器も10型とは思えないほどの力強さがあり、見事に揃っている。 ただ低弦に響きの太さが感じられず、前に前にと進むようでもあった。 しかしこの曲を初めて聴いたのでこのあたりはよく分からない。 後半のトロンボーンのソロも強烈で弦楽器の分奏もしっかりしている。 打点を明快にした音楽だ。 これで盛り上がってスパっと終わった。 第2譚詩は、各ソロ楽器の巧さと受け渡しが実にスムーズで見事な演奏だった。 オーボエの哀愁のあるメロディから、深みのあるクラリネットそしてヴィオラに繋げられていった。 このあとの弦合奏はちょっと上ずったようにも聴こえたが、これも曲をよく知らないので何ともいえない。 フルートの旋律は民俗調で各木管楽器にゆったりと受け渡されていくのが実にスムーズ。 クラリネットの歩くようなリズムから弦合奏に入ると弦に煽りを入れた藏野さん。 このあと力を増して明快な音楽で盛り上がって、最後はコールアングレ(?)のメロディが切々と流れ、エンディングはすぅーと引くように終わった。 いろいろと書いたが、どこをとってもとても巧いのが印象的だった。
コダーイのガランタ舞曲も各パートがきちんとしていて実に聴き応えのある演奏だった。 全体的にストレートな表現でぐいぐいと押していった感じだろうか。 とにかくこれも巧い演奏なのだが、ここまで巧いとなると、民族色というか色気のようなものも欲しくなるから困ったものである。 さて、音楽は張りのあるチェロのメロディ、芯の通ったホルンの響きで始まり、続いて響きがよく締まったオーボエ、ヴィオラ、そしてコントラバスと、いずれも実にタイトでストレートな表現でグイグイと押してくるようだった。 各ソロが実に巧いのも素晴らしいが、全体がまたきちんと一つに纏まっているのがもっと凄い。 第1の舞曲ではチェロとコントラバスが芯になり、金管も加わって盛り上がった。 第2の舞曲では非常によく纏まった音楽で、藏野さんの指示にもオケが実によく反応していた。 ちょっと色気が欲しいような気にもなった。 第3の舞曲では管楽器と弦楽器のかけあいも見事で、よくコントロールされた音楽が力感たっぷりに盛り上がっていた。 とにかく巧い。 ただ何度も書くがこれだけ巧いとストレートに盛り上がってくるようなので曖昧さがないのが気にかかる。 前に前にと音楽が進んでゆく感じだ。 ヘソ曲がりな僕にはもうちょっと深みが欲しくもなるが、そんなことはもういい。 一段と速くなって音量も増してスパッと切って終わった。 とにかくオケの巧さに感心している間に曲が終わったような感じ。 熱演だったが、ちょっと聴き疲れしたような感じもしたのも事実。
そして休憩を挟んで、ショスタコーヴィッチの交響曲第9番。 ちょっとゆっくりしたテンポ設定で、前2曲よりも響きに重厚さが増した熱演であった。 この曲も各楽器のソロとアンサンブルがきちんと纏まっていたが、惜しむらくは、もうちょっとテンポを上げてシュールさを出して欲しかったところ。 だが、これは指揮者の領分だろう。 その第1楽章の冒頭からちょっとゆっくりした始まりにちょっと驚いた。 前2曲なのでもっと軽快に飛び出してくるのかと思っていた。 しかし前2曲と違ってオケの響きが格段に深くなっていた。 これまでホールの響きかな、と思っていたのだが弦の響き全体に深みが出て堂々としている。 さて、トロンボーンが力強く張りのある音、ピッコロが軽快に転がしているのがとても巧い。 この後の管楽器と弦楽器の連携や繋がりや対比を見事にきめていているし、弦楽器がこれまでよりも密度の濃い演奏であるように感じた。 第2楽章は、特にその弦楽器の密度の濃さがよく出ていたと思う。 クラリネットの暗い雰囲気による開始から木管楽器が加わってきて不安感を増す。 そしてその緊張がまったく途切れずに色々な楽器に受け渡されていくがベースとなる弦楽器、とくに低弦が芯になっているのが音楽に力を与えていた。 フルートの長いソロ、ピチカート、ホルンの響きとどこをとっても抑揚があり音楽が息づいている。 また弦の分奏がきちんとしているのが見事。 各パートがきちんとそろっているのは見ていても気持ちがいいものであるが、ここでは音楽への真摯さがびんびんと伝わってくるようだった。 第3楽章は何といってもまろやかなトランペット・ソロの巧さが光っていた。 続く第4楽章は力強い金管ファンファーレに芯があり、ファゴットのソロには深みがあった。 またここでもこれをささえる弦楽器が健闘しており、とくにヴィオラの熱演が光っていたように思う。 ファゴットがゆっくりとおどけたようになって繋がる終楽章だが、一筋縄ではいかないショスタコーヴィチの音楽を、弦・管が一体となって見事に音楽として体現していたと思う。 アンサンブルの緊張は全く途切れることなく、フィナーレに向かって突き進んでゆく。 曲はしだいに力を増すのだが、演奏の重心は低いものの音離れ良く、打楽器も控えめでミュートされたかのようでタイトな盛り上がりである。 強引に盛り上げようという感じは全くせず、よく考え練り上げられた、という感じだ。 そして最後まできちんとコントロールしたまま、大きくまぁるく曲を閉じた。 ショスタコーヴィッチの中では一番軽い交響曲だが、密度を濃くしたような非常な熱演だったと思う。 ただ素晴らしい演奏だったと思ったのだが、客席はちょっとついていけなかったみたい。 少々反応が鈍かったのが気になるところでもあった。 考えてみると、今日はちょっと難しいプログラミングであることは事実だろう。
しかしとにかくよく訓練された巧いオケに吃驚した演奏会だった。 さて次回は京都コンサートホールでのブラ4の演奏会で、指揮が田久保裕一さんなのだが、ちょっと遠いので迷っていることである。