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京都大学交響楽団 第173回定期演奏会

伝統にのっとった安心感と伝統におもねらない清新さ戻る


京都大学交響楽団 第173回定期演奏会
2003年7月7日(月) 19:00 尼崎アルカイックホール・大ホール

ニコライ: 歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
ハイドン: 交響曲第101番ニ長調「時計」
ブラームス: 交響曲第2番ニ長調 作品73

指揮:ゲルハルト・ボッセ


仕事の関係などでちょっとご無沙汰してしまった京大オケですが、指揮者にゲルハルト・ボッセ教授が登場されるとのこと、仕事を早々に切り上げて尼崎まで出かけました。
ゲルハルト・ボッセ教授は、1922年ライプティヒ生まれですから80歳を超えたところです。 ライプティヒ・ゲヴァントハウス管で30年以上コンサートマスターを歴任し、またライプティヒ・バッハ管弦楽団も主宰していましたが、現在は神戸に住んでおられるとの話も耳にしていました。 神戸室内合奏団の音楽監督も務められており、時々演奏会でお名前は拝見するものの実際に聴く機会に恵まれませんでしたが、京大オケの定期演奏会に登場されるとあっては聞き逃すわけにはいきません。

どちらかというとスケールの大きな演奏を得意とするイメージのある京大オケですが(多分に金聖響さんや阪哲朗さんとのイメージが強すぎると思いますが)今夜は実に自然な息をした音楽で満ちていました。 伝統の枠にきちんと入りながらも、伝統におもねることのない清々しさを持っていて、特に弦楽器に透明感があって実に綺麗な響きを出していました。 本当に巧いオケだと思います。 この響きから「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲や、ハイドンの「時計」が実に素晴らしい演奏でした。 特に「時計」は洒脱で上品、ユーモアもあり明晰でかつ肌触りの良さなどといったハイドンを楽しむ上で必要なものがすべて盛り込まれたような音楽でした。 おまけにフィナーレなど熱演であるにもかかわらず汗をかかないクールさもきちんと持ち合わせていた極上の演奏になっていました。 モーツァルトやハイドンは本当に難しいと思いますが、これを難なくこなしていった(ように聴かせた)ボッセ/京大オケには脱帽しました(って最初から帽子はかぶっていませんけれど)。

ただしブラームスの交響曲でも管楽器・打楽器をともに巧く抑えた表現で、個人的にはもうちょっと鳴らして欲しいなぁと感じる部分もありました。 しかしこれも殊更に重厚さを押しつけるのではなく現代的でスマートに纏めた解釈で、これがボッセ教授の言われるところの21世紀という新時代の音楽なのかもしれませんね。 いずれにしてもこちらも素晴しい演奏でした。


簡単に演奏会を振り返って見たいと思います。

定時になったのでとっとと仕事を片付けて尼崎に向いました。 ひさしぶりのアルカイックなので、ちょっと(かなり)気分的にはあせっていましたが、開演30分前にホールに到着しました。 A席は当日座席引き換えなので、「後ろの席をください」と言いましたが、「良い席からお出ししています」と断られてしまいました。 そうです、このオケの演奏会はやたらと学生が案内や誘導に立っているものの座席の希望は聞いてもらえないのでした。 それでも貰った席は23列40番、中央やや右よりで2階席の庇がかかるあたりで位置的には十分後ろになるのが良かったですね。 あと当日引き換えなのに左右には誰も来なかったのは不思議でした。 適度にお客を散らしているのでしょうかね。 僕よりも右斜め後ろのほうなど最初は誰も居ませんでしたけど、けっこう埋まってしまってました。 良い席の定義がよく分からないんですが・・・まぁ気にしないでおきましょう。

あとこのオケの演奏会では、音楽部長の先生の話がありますね。 1916年で創部87年で戦時中も1回も途切れることなく年2回の定期演奏会を実施してきたという伝統を語られるのはいつもどおりでしたが、今回は前任の音楽部長の先生がスコアを寄贈されたこともあり、こちらの先生も壇上に登場されての挨拶がありました。 このため演奏開始までに15分ほどの時間が費やされていました。

さて、ようやく準備が整ってボッセさんがにこやかに登場しました。 ちょっと首を前に突き出すような姿勢ですが背筋はピンと伸びてスタスタと歩いて出てこられました。 80歳を超えているとは思えません。
「ウィンザーの陽気な女房たち」はヴァイオリンの清らかな持続音のうえで遥かな想いを伝えるような開始でした。 このあとも抑制を十分にきかせたゆったりとした演奏だったように思いますが、じつにチャーミングな感じを受けました。 演奏上のキズも若干感じられたようですが、取り立てて言うこともないでしょう。 後半はやわらかく盛り上がっていきました。 刺激的な響きはなく、じわりじわりと高揚していくといった感じで最後は大音量となりましたが余裕を感じさせるもので、終始軽快さを失わない素敵な演奏でした。

いったん全員が退場したのち、ハイドンのためにオーケストラを絞り込むための座席の変更を行いました。 コントラバス4本、チェロ6本、ヴィオラ7本でヴァイオリンは10本づつだったでしょうか。 やはりにこやかな表情をたたえながらボッセさんが登場し、ゆったりとした序奏からハイドンの「時計」が始まりました。 この序奏の不協和音の部分こそちょっと緊張気味だったようですが、主題からは実に愛らしい快活な音楽になりました。 快活といっても最近流行りの古楽スタイルとはちがったドイツ風の懐かしい感じがします。 まさに古き良きクラシック音楽の伝統をしっかりとふまえた演奏ですね。 しかもまったく引きずるような部分はありません。 ティムパニなどもコンパクトでじつに控えめな演奏で終始していました。
第2楽章ははっきりとしてメリハリの効いた主題提示でした。 下降音形のところにちょっとアクセントを仕込んだような演奏で、ヴァイオリンの響きに透明感があって素晴らしいですね。 なごやかな気分になりました。 このあと決然と入ってきた金管楽器ですが、響きが耳に刺さらない巧みなコントールも見事ですね。 じつに安心感のある演奏が展開されていきました。
第3楽章は弾力ある開始でしたがここでも洒脱さを全く失いません。 ボッセさんは上半身をよく使って精緻な表情をつけていきます。 某所のプロオケとの演奏評では細かな指示を与えずオケの自主性に任せていたようなのを読んだことがありますが、京大オケではじつに的確な指示を与えていました。 もともと巧いオケなんですが、弦と管がぴったりと合ってボッセさんの指示に的確に応えていました。
終楽章になると、オケのメンバーもずいぶんとノッてきたようで更に円熟した音楽になりましたね。 洒脱で上品、ユーモアもあり明晰でかつ肌触りの良さなどといったハイドンを楽しむ上で必要なものがすべて盛り込まれたような音楽になっていました。 フィナーレまでくると熱演になっていましたが、汗をかかないクールさもきちんと持ち合わせた演奏で締めくくられました。 これほどまでに自然な息をしたハイドンの演奏はなかなかないんじゃないでしょうか。 会場からも大きな拍手が沸き起こっていました。

20分の休憩のあとブラームスの交響曲第2番が始まりましたが、こちらもまた良き伝統の枠にきちんと入りながらも、伝統におもねることのない清々しさを持った演奏でした。 透明感のある弦楽器はこれまでと同じですが、中低弦の比重が増していたようです。 あと管楽器・打楽器はこれまでと同じく巧みに抑えた表現でした。 個人的にはもうちょっと鳴らして欲しいなぁと感じる部分もありましたが、殊更にドイツ風な重厚さを押しつけるのではなく、現代的でスマートに纏めていました。 これはボッセ教授の言われるところの21世紀という新時代の音楽なのかもしれません。 とにかく上質なブラームスでした。
第1楽章の冒頭こそちょっと緊張気味なっだのでしょうか少々ぎこちなく感じる面もありましたが繊細な感じのする開始でした。 ヴァイオリンの響きはこれまでよりも少々抑え気味ですが、そのぶんヴィオラが雄弁だったようです。 中低弦に配慮された曲の進行なんですが、もたれることのないモダンでシャープな演奏です。 クライマックスになっても声高に叫ばないところなど実に自然体な演奏で、自然に盛り上がって自然に引いていくといった感じ。 弦楽アンサンブルが実に巧かったですね。 フィナーレはちょっと管楽器に乱れがあったのでしょうか、ちょっと雑然とした感じにも聞こえました。
第2楽章もゆったりとした開始で、先の楽章と同じく中低弦が実に雄弁でした。 冒頭のチェロとコントラバスの響きにのって透明感のあるヴァイオリンが軽やかに歌っているといった感じでしょうか。 端正な音楽なんですが、これが延々と続いていったためか少々退屈にも感じられたのは僕にまだまだ修行が足りないせいかもしれません。
第3楽章はオーボエの明るい音色とこれを支える木管アンサンブルが実に綺麗でした。 音量がましていってもスイスイと軽やかに音楽が進んでいくんですが、要所は低弦の響きが芯となっています。 軽快な弦楽アンサンブルとオーボエが飛びぬけて巧かった楽章でしたね。
終楽章の冒頭は軽く鳴らしてから自然に音楽が高揚していきます。 実に爽やかな演奏です。 トランペットの音も全体の響きのなかにすっぽりと収まっています。 奇をてらったところなど皆目ない演奏なんですが、もうちょっと鳴らして欲しいし、低弦もぐいぐいと来て欲しいような感じを受けました。 個人的に没入するような演奏を好んでいるからかもしれませんが、一歩引いたところから全体を眺めているような感じも受けたのですけど、オケのメンバーをよく見ていると皆さん身体を左右にゆすった熱演をされていました。 必死にボッセさんの要求に応えていたように思いました。 そしてフィナーレの最後になって、いつもの京大オケらしいタイトで豪快な響きとなり、これをボッセさんが指揮棒を大きく回してすくい上げるようにしてフィニッシュを決めました。 いろいろと書きましたがとても清新な演奏で、会場からも大きな拍手に包まれていました。
ボッセ教授の解釈はじつに現代的なスマートなのに驚きましたが、これを見事に再現していた京大オケもまた素晴らしかったと思います。 わざわざ尼崎まで行ったかいのある演奏会でした。